季の詞歳時記「如月」
- 4 日前
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毎週日曜日は「季の詞歳時記」
俳句に素人の僕が母の作った俳句の中から好きなものを選んでこのブログで紹介しています。
師の色紙手に如月の山仰ぐ
先日、10日(火)に故郷東吉野の役場に用事があり雪の残る山村へ行ってきました。
昨年11月末以来で久しぶりに母がお世話になっている施設も訪ね面会してきました。
面会と言ってもまだまだ続くインフルエンザ流行で直の対面ではなくガラス越しです。
昭和7年生まれの母は来月には94歳、人生の終盤にさしかかり「夢に昔の親しかった人が何人も出てくる」のだと、もちろん仲の良かった父が一番登場回数が多いのだろうけど、母の姉妹、兄、友人たち、「夢の中で手招きされても行ったらあかんよ」とだけ言っておきました。
母の所属する俳句結社「運河」を主宰していた茨木和生先生が昨年末に86歳で亡くなり、先生をしのぶ会の案内状が先日母宛てに届いていたのを施設に転送しました。残念ながら施設暮らしなので参加できないこともあって、茨木先生の思い出や、さらに師である藤本安騎生先生との思い出、さらに兄姉妹、友人たちの思い出、それらが相まって最近の夢に出てきたのでしょう。
母は最近よく俳句を続けてこれた事への感謝、特に俳句の道へ導いてくれた師である藤本先生への感謝を口にします。
藤本安騎生(ふじもとあきお)先生は、昭和3年兵庫生まれ、右城暮石に師事、俳句結社「運河」を主宰し吉野を愛した人でもありました。
母は山村に生まれ育ち、何処へも行かず、その山村で一生を終える、特別何をするでもなく、これと言って残したものも無いけど、俳句だけは自分の生きがいだったと言えると何度も口にします。俳人、原石鼎と関係の深い東吉野村は俳句の盛んな村でもあったのですが、そんな中で藤本先生から俳句結社「運河」への入会を勧められ、父と忙しく商売をする生活の中で月二回の吟行は、苦しい時もあったけど入会してよかった、「お父ちゃんもよく許してくれた」と父への感謝も口にします。
良い俳句が出来た時の満足感、出来ない時の苦しみ、様々な思いを経て運河が毎月発行する機関誌「運河」の前の方のページに俳句が掲載された時の喜び、ある時作品が表彰され先生から「これであなたも『俳人』だ」と認めてもらえたことが、一番の恩返しだったと、先日面会した時にも聞かされました。
「見所があったから誘われたんやん、良かったな」と返しておきました。

一番右端が母、その隣が藤本先生、2000年4月12日と日付があるから母68歳の時、「吟行はしんどい時もあったけど知らない色んなところへ連れて行ってもらえた」んだそうです。




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